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あちこちに書き散らかしていた雑文を
一つ一つコピーしていこうと思い
自前のブログを試作してみた。
サイトを作り始めて5年以上
果たしてどんな具合になるかお楽しみ
それから2年..........
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2006/04/04 :: 最強のゴミランあるいはマックスウェルの天使
もう消失してしまったサイトだが、昔ゴミラン管理委員会というサイトを作ったことがあった。
作った動機は、一種のカルチャーショックを受けて、今まで知りえなかった主婦の実態を
別の角度から見るようになったからである。
買い物症候群、ADD(注意欠陥障害..そういえばなんとなくAATと関係が...ないか)
の書籍や、サイトをかなり詳しく調査、研究し
おぼろげながら心理がわかるようになった。
そして彼女たちを、ゴミランと密かに命名した
(店のパートのおばちゃんたちもみんなゴミランだと気づくには時間がかかった)
ゴミランたちの特性は、とにかく物を欲しがることである
「かわいい」という単語の深い意味もその時知った。
わたしはいつも「かわいくないわね〜♪」と呼ばれ続け、それを誇りにしていたのだが
実は大きな間違いだということを発見したのもそのころであった。
持てない自分がそういう行動をとってしまったのであろう。今は反省している
しかし、いまさらかわいくなれという方が無理だということも百も承知だが
せいぜい「かわいいおじいちゃん」ぐらいにはなりたいとはおもっている
そんなワケで
うちのオーナーはその中でも最強の蒐集家であった。
そこで、最強のゴミランと名づけたのだ
どのように最強かというと........
もう消失してしまったサイトだが、昔ゴミラン管理委員会というサイトを作ったことがあった。
作った動機は、一種のカルチャーショックを受けて、今まで知りえなかった主婦の実態を
別の角度から見るようになったからである。
買い物症候群、ADD(注意欠陥障害..そういえばなんとなくAATと関係が...ないか)
の書籍や、サイトをかなり詳しく調査、研究し
おぼろげながら心理がわかるようになった。
そして彼女たちを、ゴミランと密かに命名した
(店のパートのおばちゃんたちもみんなゴミランだと気づくには時間がかかった)
ゴミランたちの特性は、とにかく物を欲しがることである
「かわいい」という単語の深い意味もその時知った。
わたしはいつも「かわいくないわね〜♪」と呼ばれ続け、それを誇りにしていたのだが
実は大きな間違いだということを発見したのもそのころであった。
持てない自分がそういう行動をとってしまったのであろう。今は反省している
しかし、いまさらかわいくなれという方が無理だということも百も承知だが
せいぜい「かわいいおじいちゃん」ぐらいにはなりたいとはおもっている
そんなワケで
うちのオーナーはその中でも最強の蒐集家であった。
そこで、最強のゴミランと名づけたのだ
どのように最強かというと........
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2003/04/20
文字化けひどす(換金作物)
[コーヒー関連]
─当時の背景─
農業を営む人々は、衣食住のうち、食住については、何とかしのげるが
衣(現在では文化の意味が含まれているといえよう)については、
ニーズを満たすことはなかなか難しい。
要するに、食住が現物支給である分、現金が不足するからである。
そこで、換金作物が必要になってくる
食には重要ではないが、現金が手に入る作物である。
わが国の歴史の中では、綿花、香辛料、観賞用の草木、等がそれであった。
主食の生産が余剰な地方では、盛んにこれらを栽培して、現金を手にした。
しかしこれは諸刃の剣であった。
ニーズが一定しないということと
商人に換金を依頼しなければならないことであった。
口に入るものは、その当時の生産力では
ギリギリの状態で、余剰在庫など考えられなかったため、作れば必ず消費された。
換金作物はそうではなかった。
ニーズが一定しない買い上げ値段がそれによって変動するのである。
そして後には、そこを商人に突かれ、指値で買いたたかれるようになった。
─まだまだ足りん─
後に商社となってゆく商人たちは、さらに儲け方を考えた。
買い上げを約束し、資金を貸し、技術指導をし、
見返りに労働力を事実上無償で提供させた。
当然収穫時は、捨て値で買い上げ、さらに金を貸し付けた。
情報は商人に独占されているため、農民たちは相場など知る由も無かった。
飢饉が起こったときは悲惨になった。
本来食物を作るべき農地に、無用のものが栽培されているのである。
ともすれば、換金性があるため、一等地に作付けされていたりもしていた。
穀類を植えつけていれば、餓死者の何割かは
生き延びれたであろうことは、助ェ推測できよう。
商人たちにとって、 良い生産者は、常に貧困にあえぐ農民たちであった。
手元に余裕も無く、明日の収入欲しさに、言いなりに証文に捺印せざるをえなかった。
飢饉のときに役に立たない作物は、買い叩かれるしか道はないのである
農業を営む人々は、衣食住のうち、食住については、何とかしのげるが
衣(現在では文化の意味が含まれているといえよう)については、
ニーズを満たすことはなかなか難しい。
要するに、食住が現物支給である分、現金が不足するからである。
そこで、換金作物が必要になってくる
食には重要ではないが、現金が手に入る作物である。
わが国の歴史の中では、綿花、香辛料、観賞用の草木、等がそれであった。
主食の生産が余剰な地方では、盛んにこれらを栽培して、現金を手にした。
しかしこれは諸刃の剣であった。
ニーズが一定しないということと
商人に換金を依頼しなければならないことであった。
口に入るものは、その当時の生産力では
ギリギリの状態で、余剰在庫など考えられなかったため、作れば必ず消費された。
換金作物はそうではなかった。
ニーズが一定しない買い上げ値段がそれによって変動するのである。
そして後には、そこを商人に突かれ、指値で買いたたかれるようになった。
─まだまだ足りん─
後に商社となってゆく商人たちは、さらに儲け方を考えた。
買い上げを約束し、資金を貸し、技術指導をし、
見返りに労働力を事実上無償で提供させた。
当然収穫時は、捨て値で買い上げ、さらに金を貸し付けた。
情報は商人に独占されているため、農民たちは相場など知る由も無かった。
飢饉が起こったときは悲惨になった。
本来食物を作るべき農地に、無用のものが栽培されているのである。
ともすれば、換金性があるため、一等地に作付けされていたりもしていた。
穀類を植えつけていれば、餓死者の何割かは
生き延びれたであろうことは、助ェ推測できよう。
商人たちにとって、 良い生産者は、常に貧困にあえぐ農民たちであった。
手元に余裕も無く、明日の収入欲しさに、言いなりに証文に捺印せざるをえなかった。
飢饉のときに役に立たない作物は、買い叩かれるしか道はないのである
posted at 2006/04/18 18:10:40
lastupdate at 2006/04/19 18:41:04
【修正】
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